「責任」という言葉が好きではないです。誰もが社会人になるとやたらと「責任」と言われます。「責任感が無い」「責任を持ってやれ」「お前の責任だ」「責任者を出せ」などなど… 。
「責任」という言葉にはなんか「許されない」「罰を受ける」「賠償する」ニュアンスを感じます。だから、責任感を持って何かすることは苦しい。だから嫌い。寛容とか余裕とかが無い。うまくいかなくても必ずしもなんか事情とかもあるじゃん。あと契約(金額)の大きさとか、内容の重大さとか… 。
自分もこれまで仕事で辛いことは何度も何度も何度も何度もありましたが、辛くなったら「まあそれで死ぬわけじゃないし」と自分で自分に言い聞かせていました。自分は広告とかデザインとかの仕事をずっとやってきたので、納期が遅れたところで人の命に関わることは無いのです。(医師や運転手や命を預かる仕事のみなさん、本当にご苦労さまです!)それでも納期とかクライアントとか上司とかに追い詰められると本当に苦しくなります。苦しい人たちには「それで誰かが死ぬわけじゃないし、責任とって自分が死ぬわけじゃないし」と開き直ってもらいたいです。
「責任」という言葉のとらえ方を変えたら、みんなもっと幸せになるんじゃないかなあと思うんですけど。どうやればいいのかな?
- 失敗した人を責めない
- 仕事より家庭の事情を優先することを責めない
- 人の命や危険のない仕事の納期や品質に寛大になる
とか?要するに
- 物事の重要度の優先順位をもっと人間や自然に優しいものにする
- 責任と罰を分離する
「責任」と「無責任」の間に、「責任を感じてがんばるが無理しない」的な言葉があればいいのかな?「非責任」とか「脱責任」とか?世の中(特に日本は)真面目すぎる人が多いので、ちょっとくらい無責任な人が増えても社会がおかしくなるほどのことはないでしょ、たぶん。仕事は「怒られるから」するのではなく「やりたいから」やる、という意識に(少しでも)なれるといいと思うんだけど。
※写真はそんなことを考えながらいつも散歩している多摩川と青空